JACK休憩所

慶應義塾大学ジャパンアニメカルチャー研究会のブログ

推し(映画)

こんにちは、ピ蔵です。

 

ブログを書くのは人生初!書きたいことを書きまくって暴れようと思います。

 

今回取り上げるのは、映画「屍者の帝国」です。初めて書く記事は私の大大大大好きな作品を取り上げようと思っていたので、ずいぶんと長い記事になること間違い無しですね。

 

屍者の帝国は2012年に発売された伊藤計劃円城塔の長編SF小説が原作で、2015年に劇場アニメが公開されました。残念ながら映画館で見ることはできませんでしたが、後日WOWOWで放送されていたのを観ることができました。視聴後、あれほど映画館で鑑賞することができなかったことを悔やんだのは過去にも未来にもないでしょう。映画館で観るべき映画ってありますよね。最近アマゾンプライムばっかりでiPadの小さい画面でアニメやら映画やらを観ていると、本来の良さを楽しめてない気がします。例えば「海獣の子供」とかは映画館で観るべき作品だと思います。Studio4℃の作品は大画面で観るに限ります。話は戻して、エンディングのEgoistの「Door」が流れるタイミングなんて絶妙です。エンディングが流れ始めた途端席を立って帰ってしまう人もいますが、この作品はエンディング後もお話が続くので最後まで気が抜けませんよ!

 

まずはざっとあらすじを説明します。原作と映画では若干内容が違うのですが、映画メインで語りたいので映画版に沿った説明をします。

 

始まりの舞台は19世紀末のロンドン。死者蘇生技術の進歩により、屍者が労働力として活用されていた。医学生ジョン・H・ワトソンは親友フライデーとの生前の約束に従い、自らの手で違法に屍者化を試みる。その行為は英国政府の諜報機関、ウォルシンガム機関の知るところとなり、ワトソンはその技術と魂の再生への野心を見込まれてある任務を命じられる。それは、一世紀前にヴィクター・フランケンシュタイン博士が遺した、まるで生者のように意思を持ち言葉を話す最初の屍者ザ・ワンを生み出す究極の技術が記されているという「ヴィクターの手記」の捜索だった。ワトソンは屍者フライデーを伴いロンドンを発つことに。親友の魂を取り戻すための世界を巡る壮大な旅が始まろうとしていた ──

 

原作は、冒頭の原稿と全体の設定を遺し伊藤計劃が病死してしまったため、その後を厭うと親交の深かった円城塔が引き継いで完成させました。私としては、「伊藤計劃のこういう話が読みたかった!」と「円城塔のこういう話が読みたかった!」が共存している作品が読めて大変満足です。

 

主人公のワトソンの声優は細谷佳正さん、フライデーは村瀬歩さん、ヒロインのリリス花澤香菜さんです。大塚明夫さんも重要な役を演じています。特に村瀬さん演じるフライデーは屍者なので基本的には人間の言葉を話しませんが、暴走した時の叫び声はその迫力に鳥肌が立ちます。ワトソンと旅を共にするバーナビーは、いつでもどこでもマイペースで、なんでもかんでも腕っ節だけで解決しようとしますが、その豪放磊落さとこの作品の重たい感じとでうまくバランスが取れています。

 

印象的なシーンをいくつか紹介します。(※ネタバレ注意!!!!※)

 

1つ目は、リリスが大量の屍者に向かって火炎放射器をぶっ放すシーンです。可憐なドレスを身にまとっていながら、やることは超豪快!惚れてまうやろ!

2つ目は、三木眞一郎さん演じるアレクセイ・カラマーゾフが自分自身に屍者化を施すシーンです。この鬼気迫る感じ夢に出てきそうですね。(この作品の場合、アレクセイは生きながらにして死んでいる状態になったと言えますが、それにしてもどうして三木眞が演じる役は死んじゃうことが多いのでしょうか・・・・ヒロアカといい文ストといい・・・・泣)

最後に、シーンではありませんが、背景美術がとても綺麗です。美術背景に株式会社Bambooが参加していますから流石のクオリティです。BambooはSAOや有頂天家族の背景も担当しています。

 

屍者=ゾンビと言えますが、よくあるゾンビみたく、腐っていたり血まみれだったり、四肢が揃ってなかったりはしていません。だから「グロいの苦手なんだ〜」な人でも安心!持論ですが明らかに人間に敵意むき出しで襲ってくるゾンビよりも、何を考えているのかわからなくて、目の焦点の合わない屍者がただ佇んでいるだけの方が不気味な感じがします・・・。

 

屍者の帝国が面白いと感じた方は、ぜひ他のProject Itoh作品に手を伸ばして欲しいです。「屍者の帝国」「虐殺器官」「Harmony」の世界は地続きです。時系列は屍者の帝国<<虐殺器官<Harmonyです。これらもアニメ映画化しているので、またブログで紹介できたらと思っています。

 

屍者の帝国に似た作品に、柴田勝家さんの「ヒト夜の永い夢」という長編SF小説があります。舞台となる時代、粘菌でヒトの脳の働きを模倣するという点、パンチカードを使って人形を動かすという点、登場人物が実在の人物とリンクしているという点が似ています。こちらも非常に読み応えがある作品です。南方熊楠が粘菌学者で粘菌コンピュータを作ってヒトのように思考する人型ロボットを生み出すなんて胸熱ですね。ただ、根本的なテーマは哲学的で「現実って何?」といった風です。「この世界は多重に存在していてたくさんある現実の中から自分で好きなものを選んでいるだけで、私たちの現実は恣意的なのではないか」という問いかけがなされます。邯鄲の夢と同じ原理です。私は春休み中12時間睡眠なんてしょっちゅうしていましたから、あながち夢だと思っている方が現実で〜なんてこともありそうですね。そういえば以前「今見ている世界が現実か夢かわからなくなったときはおかゆを炊けばいいんですよ」と言い放った先輩(JACK部員ではない)がいました。何か嫌なことがあったときは、おかゆを炊いて「コレは夢だ、夢だ」と唱え続けましょう。

 

話を戻します。

 

屍者の帝国のテーマは「魂とはなにか」です。人が死ぬ時に失う21g分の重量こそ魂であるとし、ワトソンはその21gを取り戻すために世界を股にかけて冒険しました。

ワトソンが辿り着いた答えが気になる方は映画を観てください!

 

この記事を書くために映画を見直しましたが、何度見ても最高です。もう何回見たかわかりません。

 

それではまた!